冷泉を行く

身を切るほどに冷たい風が、中山道の街道筋を吹き抜けた。冬が旬の佐久の鯉の美味さは、耳を赤く染めてきた甲斐があった。鯉は薬膳料理、特に肝臓に良いので酒飲みにはその効力もありがたい。これで心置きなく、また呑める——。甲州街道へ先回りするように小海線で八ヶ岳を迂回すると、稜線から穏やかな陽が差し込んできた。最高峰である赤岳に硫黄岳、西と東の双耳峰は天狗岳だ。連なる峰がアルプスからの冷たい風を受け止めて、甲州をいち早く春へと導いている。桃の節句にはまだ少し早かったが、珍しいワインのカップ酒を開けて春の訪れを祝った。

またも北陸を襲った大寒波に、越前のアニキを思う。夏に水が出れば、いの一番に「大丈夫か!」冬に雪が降れば、やはりいの一番に心配してくれる男気の上に、今年は大雪が降り続いた。積雪により、車がどこにあるかも分からないほどであると、人づてに聞いた。大丈夫なのだろうかと思いは募る。

名物のほうとうで胃の中を温めてから、少し冷たいビールで鳥もつ煮を流し込んだ。どこへ向かうのか——?冷泉を目指してやってきた。かたや大きな雪害を受けているのにも関わらず、こなたは冷たい温泉を行く。いよいよ、ふざけているのかと怒られそうだが、いやいや、仕事で来ているのだと払拭して、甲州の冷泉を巡った。(やっぱ怒られそうだな)

冷泉はよく「霊泉」とされるように、豊かな効能だけではなく、不思議な力にもあふれている

韮崎で乗り換えた路線バスは、奥秩父の山塊に向かって標高を上げていく。終点の増富ラジウム温泉はその名の通り、国内屈指のラジウム泉を有する湯治場だ。自然湧出する源泉の温度は20℃から27℃ほど。冬には入浴を躊躇われてしまう湯温だが、夏の熱い湯が気持ちいいように、冬の冷泉は病みつきになる。それはなにも、へそ曲がりのたわ言ではない。

同じくラジウム泉で知られる越後の栃尾又温泉は、長湯により芯から冷えた体をじんわり温めて、風邪を引かない体を作る。「湯はななくりの湯」と清少納言に言わしめた美肌湯の名湯、伊勢の榊原温泉のつるすべアルカリ泉は、冬の乾燥にしっとり潤いを与える。信州奥蓼科の渋御殿湯は——と、あげれば切りがない冷泉の特徴は、冬に際立ってみえる。旬があるとすれば、やはり冷泉のそれは冬なのかもしれない。

旅館群の脇を流れる本谷川は短い落差の流れにも氷柱を作り、未だ半分が凍ったままで流れていた。褐色に染まる湯の中に足を入れると、予想以上の冷たさに思わず声が漏れた。それでも震えながら、膝下から太もも、腹の辺りでは悲鳴に似た悲鳴が吐き出されたが、胸、そして肩まで体を浸すと急に楽になった。濃厚なラジウムの霊泉が、一切の体の緊張を取り除いた。

半分くらいは廃業したという下部温泉の温泉街。少し淋しいが、静養するには丁度いいのかもしれない

信玄公の隠し湯である下部温泉もまた、冷泉の名湯としてその名を馳せる。閉館した旅館が多く取り残された温泉街は、火の気が消えたように閑散としていたが、そもそもは傷を癒やすのが目的の湯治場。流れる川の音以外は無用であって、よほど隠し湯の雰囲気に包まれる。

傷の湯とされる冷泉の湯温は30℃ほど。無色透明でほとんど無味だが、ごく僅かに卵臭を感じさせた。夜は冷え込んで、外気温はマイナス5℃。それでも目を閉じて心静かに浸かれば、冷泉の温もりは時間の経過を忘れさせる。時折、天井から滴る水の音に起こされるくらいで、リラックス状態がとても長く続いていた。

飲泉でも効能がある下部温泉の湯。飲み湯番付ならぬ順位表を作り、東の横綱を自負する名湯を宿では水差しに入れて提供してくれた。ボトルに詰めて大々的な販売もしており、人気があるのだという。隠し湯の実力を裏付ける。

岩下温泉の源泉が湧く旧館の半地下浴場へは、裸で廊下を抜けていく

県内最古の温泉、岩下温泉の地にも走湯神社があった。祭神は少彦名命と湯山主命。効能豊かで温かく感じる不思議な水に畏敬の念を抱き、湯の神が祭られたのだろう。社のすぐ隣には古墳もあることから、有力者と温泉の関係をうかがい知ることができる。

旧館の半地下にある源泉浴場の湯温は28℃とのことだが、ここまで来ると特別もう、どうってことはない。加温浴槽で体を温めることもなく、そのまま冷たい温泉へ。もちろん、ひんやり心地よい。熱い湯で汗をかくと、脈が高まり筋肉は硬直するが、それとは反対にぬるい湯ではリラックス状態が続き、筋肉は緩むという。内臓の動きにも変化があるらしい。

うんちくを傾けるよりも、冬の冷泉は頭の中もすっきりとさせるようだ。空っぽの頭で思いつくのは、どうしよう。面白いことしか浮かんでこない——。今度はあそこへ行って、あれを食べてみよう。あの酒も呑んでみよう。

 

信州に続き、甲州にも道端に祀られた道祖神が多く見られた。丸石の道祖神はこの地方だけに見られる珍しい形だという。昔人たちは何を祈ったのだろうか。どこか愛嬌のあるその神に、市井の人たちが寄せたであろう安らかな思いがしのばれる。

嵐が去るのを待つしかないと書けば、悲惨に思うかもしれないが、待てばいいだけだと書き直してみると、視界は開けてくる。冷たい温泉もじきに快適に思えてくるものだ。もうすぐ花が咲き、街道沿いは桃源郷に変わる。